車輪の再発明?


既にある物を使わずに、手間隙掛けて一から手作りするなんて、愚の骨頂。
まぁ、そういう事です。
ある物を使う事を考えれば、その通りだと思います。
いくつかの不満があるとしても、既存のOSを使う方が、はるかに有用で、
自作OSが、そのレベルに到達するのに、一体どのくらいの時間と労力が必要になるのか?
第一、そのレベルに到達しない可能性の方が、はるかに高いわけです。
それが現実でしょう。


だから、そんな事はやるだけ無駄だ、止めておけ。
今まで、僕も、そう考えていました。
でも、それは、自分に対する言い訳だったのかもしれません。
僕にとって興味があるのは、OSの中身や仕組みなのだから、
自分で作ってみるというのが、一番、勉強になるはずだ。
一般的な生産活動として考えれば、この上なく無駄な事かもしれないけれど、
僕自身にとっては、非常に意味のある事だと思えてきた。
大体、自分は、見聞きしただけで全てを理解出来る程、器用な人間じゃない。
やはり、自分の手を動かし試行錯誤する中で、やっと納得出来るタイプだ。
不器用な人間なら、それなりに、不器用にやれば良いと思う。


敢えて車輪の再発明になっても構わないというのは良いとして、
であれば、折衷案?として、既存の活動に参加するような選択もあると思うのだけれど、
学習を主眼として考えた場合、大事な事は、結果よりも経過のような気がするのだ。
つまり、完成されたOSを手にしたいのではなく、
OSを完成させる為に必要な物事が何なのかを考える機会が大事だと思うのだ。
勿論、一通りの学習を済ませた後、既存プロジェクトのメンバーと同じレベルで、
彼等と新しい事への挑戦を考えるのも良いと思うのだけれど、
僕は、まだ、今までの過程を消化し切れていないと思う。
だから、とりあえずは、自分でやってみて、結果、彼等に近い結論に至ったのならば、
そこから彼等の活動に参加しても良いと思うのだ。


色々なやり方や考え方があると思うけれど、
本人にとって、納得出来るのであれば、それが一番であると思う。
だから、僕は、車輪の再発明になっても良いと思うのである。