やっぱりOSが作りたい!!


中学生の頃から「OSを作れるようになりたい!!」と思い続けてきた。


初めは、ゲーム雑誌の記事で「ソーサリアン」が取り上げられた時。
記事の中で、ソーサリアンシステムは、一種のOSだと説明されていた。
それを見た僕は、
「そうか、ソーサリアンのようなゲームを作るには、OSが作れないといけないんだな。」
とかなんとか、単純に、そういう物なんだと納得してしまった。


この頃は、ゲームを作りたい→OSを作る必要がある、みたいな感じだったのかな?


その後、進学する際にも、
マシン語を勉強したい」とか「OSを作りたい」とか言い続けていた気がするけれど、
結局、在学中に、それらを物にする事は出来なかった。
それでもMinixをかじる機会があったり、
それはそれで無駄ではなかったように思う。


この頃になると「ソーサリアンシステム」と「OS」の関係についても、
半分正解で、半分は言い過ぎな感じ...
つまりは、それなりに、記事の内容を咀嚼出来るようになっていた。


根底に「ゲームを作りたい」という第一の願望はあるのだけれど、
「OS」については、「ゲームを作る為」ではなく、
純粋に「OS」その物に対して興味を抱くようになっていた。
どのような仕組み手順でPC全体を制御しているのか、
その全容を細部まで知りたい理解したいと思うようになった。


そして、社会人になり、仕事としてプログラムを組むようになり、
断片的には、いくつかの分野で、より詳しく学ぶ機会を得る事もあった。
ただ、自分自身は、アプリケーションからWeb開発に流れていき、
OSとは最も縁遠い階層での開発が中心になっていった。
そして「OS」に対する情熱も、少しずつ冷めていってしまったように思う。


既に、世の中には、UnixWindows 等に代表される、大規模なOSがいくつも存在している。
特に Linux は、同じような志を体現した具体例であって、
今更、自分が、ゼロからOSを作ろうなんて、バカバカしく思うようになった。
だったら素直に Linux の開発活動に参加するような手段もあったように思うけれど、
それさえも「今更だよ」とか思うような状態であった。


それでも、やはり、消えずに、どこかで燻り続けていたのだと思う。
その情熱に、再び火がついたのは、Kさんの「OSASK」であり、Higeponさんの「Mona」であった。
特にKさんの著書「OS自作入門」には、大きな衝撃を受けた。
なんだか大人ぶって「今更」とか言っている自分が、少し恥ずかしく、情けなく思った。
やりたい事を素直にやってみるって、やっぱり、凄い事だと思う。


確かに、出来る出来ないではなくて、やるかやらないかだ。
やってみなければ、出来るわけがない。
少しずつでも、やってみる事が大事だと、改めて思った。


何よりも、自分の素直な気持ちとして「やっぱりOSが作りたい!!」