まぁ、そうなるわな...

ブラウザ側で、ページの Unload 時に後処理を行いたかったので、

とりあえず、EventHandler を追加して、呼び出し確認のために log 表示を入れてみた。

ところが、一向にログが出力されず、しばらく、悩む事に...

EventHandler の登録をミスったのかと疑い、ブレイクポイントを設定してみると、

呼び出しは、ちゃんと行われていたのだが...

よくよく考えてみれば、開発者ツールのデバッガーは、現在のページを対象としている。

ページ遷移によって、直前のページが Unload されたから、Unload Event が発生する訳で、

その時には、既に、別のページが表示され、デバッガーの対象は、このページになっている。

直前のページが、最後に出力しようとしたログは、行き場を失っていたという事だな。

 

Docker と VM

Docker と VM の違いは、あちこちで、色々と説明されている。

Docker って何者?という段階で、やはり、気になる点ではある。

結論から言ってしまえば、似て非なる物なのだが、

全くのゼロから説明するより、似たような物と比較しながらの方が、

話が進めやすい点はあるだろう。

ただ、そういった比較が多い故に、

逆に、Docker は、VM の親戚みたいな物... といった先入観も生まれ易い気がする。

自分も、そうだった。

これからは、Docker が、VM の需要を置き換えていき、VM は、廃れていく。

一旦は、そういう理解をしてみたが、それも、ちょっと違う気がしてきた。

確かに、VM を用意するには、大袈裟で、Docker 向きなケースもあれば、

相変わらず、VM の方が向いているケースもある。

つまりは、技術的な選択肢が、一つ増えたという事であって、

Docker と VM を、うまく使い分ける、というスタンスが良さそうである。

なんでもかんでも、Docker でやろうとすると、おかしな苦労をする事もある。

CANVASのサイズ指定

今更だが、HTML5CANVAS における、サイズ指定について、注意点をメモ。

CANVAS タグの width, height は、描画バッファのサイズ指定。

スタイルシートの width, height は、HTML要素のサイズ指定。

スタイルシートのサイズ指定がない場合は、CANVASのサイズに合わされる。

CANVASのサイズ指定がない場合は、デフォルトで 300px * 150px となる。

両方とも未指定の場合は、この 300px * 150px で表示される事になるが、

スタイルシートのみ、サイズを指定した場合、一見、おかしな事になる。

同じ CANVAS に対してサイズ指定を行なっていると考えると、混乱する。

これを、描画領域と表示領域とに分けて考えれば、いくらか、理解し易くなる。

例えば、スタイルシートで 600px * 300px と指定した場合、

描画領域のサイズは、デフォルトの 300px * 150px のままであるから、

描画領域に描き込まれた内容は、表示領域では、2倍に拡大される事になる。

結論としては、CANVAS タグ内で、width, height の指定を必ず行う事。

情報化社会の情報操作

情報化社会なんて、今となっては、当たり前。

個人所有のスマホから、簡単にネットに接続出来る時代。

そういう時代だからこそ、情報操作も簡単になってきている気がする。

普段、何気なく使っている検索でも、

google様のご機嫌次第で、検索上位の内容は入れ替わる。

なんの疑いもなく、検索結果を受け入れている訳だけど、

暗黙の前提として、検索結果が、意図的・恣意的でなく、公平・公正な物である、

といった、思い込みのような物がある気がする。

勿論、google様を攻撃するような意図で書いている訳ではなく、

今のネット社会では、どこでも起こり得る事、という話である。

冷静にネット上の情報を吟味してみれば、玉石混交である。

中には、とんでもないデマ情報や悪意を含む情報などが山ほどある。

結局、自分の目で、しっかりと見極める必要がある。

時代と共に、媒体が変わろうが、その点が変わる事はないように思う。

アルゴリズムとデータ構造

とても有名な書籍のタイトルでもあるのだけれど、

長年、曲りなりにプログラミングに関わっていると、

結局、皆、ここに至るような気がしてきた。

扱う言語やフレームワークが変わっていっても、

根本となる部分は、それほど変わらない。

物によっては、毎回、同じような事を繰り返している事もある。

大事なのは、やはり、やりたい事を実現する手順とその為のデータの持ち方...

これに尽きるように思う。